三河教育研究会

会長挨拶
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流行・流儀を超越した地道な教育実践を

三河教育研究会会長  髙須 亮平

 

 三河教育研究会は、昭和三十六年五月に発足し、今年で五十九年目となります。その間、三河小中学校長会、愛知教育文化振興会との連携のもと、多くの先輩方のたゆまぬ努力によって確かな実績と伝統が築かれ、今日まで引き継がれてきました。
そして、令和の時代となり、新学習指導要領が完全実施されていきます。
 現在、そのような中、私たちの教育研究はいかにあるべきかを考えていかなければなりません。これまでを振り返りますと、様々なはやりすたりがあり、その流行、流儀の中で、教育は慌ただしく変遷をしてきました。最近では「主体的・対話的で深い学び」という言葉が話題となっています。この意味は「一人一人の子どもを大切にする」ということに通じ、教育の本質に迫るものを感じさせます。
 それは時に言葉としては美しく安易そうで、教育研究には聞こえのよいように感じます。しかし、現在、それらの言葉に見合う実践が教室を満たしているかと言いますと、そう甘くはありません。真の理解と実践には、教師の意識改革が求められるからです。けれども、これまでの三河の先輩方が、教師の営みとして具体的に丁寧に教えてくれています。
「子どもが帰った教室で、今日はこの子はどうしていたか、何をしてやれたかを考えてみなさい」と。
 教師が一日の子どもの姿を思い浮かべることで、見過ごしてきたその子の真意を感じることができます。そして、今日の指導の何が問題で、翌日からどう改めればよいかが自ずと見え始めてきます。
「新聞や教育書を丁寧に読み、子どもが興味を持ち、授業に役立てられる教材ノートを作ってみなさい」と。
 教材ノートを作ることで、授業を構想する上で子どもに魅力的な教材を選定できます。そして、そのような教材に支えられた実践により、授業で子どもを育てるという当然の事実に気付きます。
「自分の授業を録音して授業記録として起こし、それを繰り返し読むことを続けてみなさい」と。
 授業記録を読むことで、指示や説明が多く分かりにくかったことや、子どもの意図を誤解し、教師の都合で授業をしていたことに気付きます。そのことで、謙虚な気持ちで子どもに寄り添う授業ができます。
 これらは、まさに子ども一人一人を大切にする「主体的・対話的で深い学び」につながる教師の営みです。ただ、それらを毎日のように行うことは難しいかもしれません。作業に要する時間は相当かかります。しかし、その気になれば特別なセンスはいらないので誰でも始められますし、始めた者はきっと確かな力を付けるでしょう。それは当然で、それが教育研究の根本だからです。だから、私たち教師には、本質を見極める眼力、自らの実践を貫く主体としての軸、ひたすら子どもを育て教育を生み出す創意をしっかりともっていなければなりません。
 このように考えますと、今の教育研究に求められることは、美しい言葉で飾り立てることでも、はやりやすたりのような流行、流儀を追うことでもありません。
それらを超越した、あくまで子どもに誠実で、地道な教育実践を、継続していくことなのです。それが三河教育の本質だと思うのです。
 登山の目標は、山頂と決まっています。しかし、教育の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の山の中腹にあるのかもしれません。すなわち、私たちは、授業の中で子どもの姿と向き合う、その瞬間瞬間を大切にし、それが連続する今を、辛くとも楽しみながら、教育実践を積み上げていきたいと思います。
 三河教育研究会は、三河全小中学校の約一万二千の先生方が自ら進んで研修を積む組織です。私たちは、本会発足当時の「三河のすべての子どもたちに、三河の教師による、優れた教育を保証する」という先輩方の熱き思いを次代へとつなげる中で、さらなる充実・発展を図っていかなければなりません。そのために、私たち会員一同が教師としての主体性と創造性を発揮した教育研究を、力強く展開していきたいものです。
 令和元年度のこの一年、力を合わせて教育研究に取り組んでいきましょう。